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協生農法で複雑なものにアプローチ 野菜の森をつくる


写真左:鈴木博人さん 写真右:瀬戸義章さん 

瀬戸さん:瀬戸義章と申します。本業はフリーライターです。

いろんな企業の製品、例えばウォークマンの新型が出ましたよとかなったら、それの企画した人に話を聞いて、苦労した点とか、どういう風に開発していったかとか、ユーザーの反響はとか、「このウォークマンのこの形にはすごい大変だったんです!」っていうのを聞いて、それを記事にしていくのが主な仕事です。

以前から環境問題に興味

出身は神奈川県で、現在は鎌倉市に住んでいます。35歳です。

なぜ畑を始めたかですけど、長崎大学の環境科学部を卒業して、以前から環境問題には興味がありました。ゴミ問題もそれの一環で書いたりしたんですけど。

(瀬戸さんの著書 「ゴミ」を知れば経済がわかる PHP 画像をクリックしたらamazonの商品ページに飛びます。) 

僕が大学生だった頃は諫早(いさはや)湾開拓問題といって、有明海を埋め立てて、農地にするとかという話がありました。でもムツゴロウが「豊かな干潟という生態系を失わせてやることか」と批判するなど、公共事業として非常に問題になりまして、その現場に行こうっていう気持ちもあって長崎を選んだんです。

社会問題は複雑

諫早湾開拓問題もそうですけど、環境問題に限らず、社会問題全てがおそらくそうなんでしょうけど、それは「複雑」ということです。

例えば環境問題にとっても、生態系の豊かさを取るのか、経済を取るのかとか。過去すでにもう10年前に決められたことだからやるっていう意思決定の在り方を取るのか、「今の時代はこういうのじゃないよね」みたいな、いろんな人の思惑、意志が絡み合ってる。

そういう問題が解決するかっていうと、多分なかなか解決ってとこまで落ち着かないんじゃないかと思います。

単純なアプローチで全体が良くなることは中々ない

複雑に対しては、単純という言葉があります。

沖縄にハブがいて大変だと、じゃあマングースを入れて食べてもらおうとか。

あとはアメリカの国立公園かな、狼がたくさんいるから、狼は危ないから、狼を狩ってしまおう。とか、そういうアプローチを今まではしてたし、これまでも多分いろんなところでそういうアプローチがされていると思います。

そういう単純なアプローチって、「いやハブ食べる必要ないし」ってマングースはヤンバルクイナ食べるよとか。狼絶滅させちゃったから、鹿が増えすぎちゃって、木が全部食べられちゃって環境破壊されちゃってとか。

AとBの問題で単純に考えていたら、実はもっともっといろんなステークホルダー、関係者が絡んでいて、そんな一部分だけとって全体が良くなることなんてなかなかない。

複雑なものに対するアプローチ 「寛解」

っていうのが現代の問題に対するアプローチへの疑問、単純すぎないかなっていうのが若干あって、複雑さっていうのをもっと身につけたいというか、そういうのが必要だと思った

病気、医学の言葉に寛解(かんかい)という言葉があります。

病気とうまく付き合うって言い方をされますけど、これは例えば白血病とか重い病気を患った時に、完治はしないと、でも日常生活は送れる、それを寛解って言います。

そういうアプローチが貧困とか、少子高齢化とか、いろんな社会問題とか環境問題とかに必要なんじゃないかなというのが、仕事をしている中や日々ニュースとか接する中でずっと感じました。

農業は複雑なはずなのに、やり方が単純すぎないか

そんな時に2014年か15年頃、五反田にあるソニーの研究所、CSL(コンピューターサイエンスラボラトリー)っていうのがあるんですけど、そこで「協生農法※」を知りました。その研究所である数学者が農業について研究しています。

複雑系っていう学問があるんですけど、農業というのはまさに生態系、お天道様があって、空気があって、風が吹いて、地上があって、土壌があって、微生物がいて、全体として海にもつながっていたりとか、すごい長大な、生態系の中での一部分が農であるはずです。

それなのに従来の農業というのは、インダストリーすぎないか、工業的すぎないか。工場の中で、さも部品一つ一つ作っていくかのように、畑、土をほとんど全てあらゆる雑草を取り除いて、一色の土にして、土の成分を化学的に制御して、単一の作物を育てる。非常に人工的すぎやしないか。

それはそれで必要なこともあるかもしれないけど、今どきのやり方として、せっかく生態系とか複雑系とかそういう考え方ができたのに、農業のやり方は単純すぎないかってその数学者の方の問題意識です。

その人は自分の専門の複雑系の力をなんとか世の中で役立てたいって考えた時に、三重県で協生農法を実践している農家さんに出会いました。それこそまさに自分のやろうとしていることだと直感して、その農家さんのやり方を言語化というか、数字化というか、データ化というか、科学的にサポートするようになりました。農家さんが経験則でやってることを論文にしたりとかマニュアルにしたりとか、タッグを組んで。

情報量が多いコトモファームの畑

それがすごく面白いなと思いました。要はその複雑系に接するっていうのは、日常だと中々意識しないなと思うんですけど、これまで2ヶ月しか、畑をやり始めたばかりですけど、毎週畑に行くと、ものすごい情報量多いなって感じがする。小島さん(コトモファーム代表)がメールマガジンの中で農業学部の生徒だとかが来て、虫が何十種類、草が何十種類みたいなことをおっしゃっていて、すごいですよね。

小島:草で90種類、虫が日中だと40種類、夜だとさらにいるかも。しかも野菜は20〜30種類育ててるし、目に見えない生物も含めたら相当。

ジャングルかって感じですね。雑草についても、背が高くて細いやつや、背が低いけども葉っぱが大きいやつまで、90種類いたり、土をちょっと掘ってみると土の色も形も湿度によって変わったり、虫がワラワラワラって出てきて、ミミズ最近でかいねって話を最近2人でしてたり。蛇か!みたいな(笑)

協生農法をやってみる

そういう風な色んなものが出てくる。かつ、協生農法というのは制御しない、自分で管理しない農法だなって思っていて。どちらかというと「野菜の里山」を作る、あるいは「野菜の森」を作る、その森や里山は、ある種自然が勝手に育つわけですよ。

そこに我々がたまに、1週間に1回行って採取する、裏山に行ってくり拾ってきたとか山菜拾ってきたとか、今日は蜂の子取れたとか、紅葉が綺麗だったとか、そういう感覚に近い農法、農のあり方なんじゃないかなというのが2ヶ月かけて。

自然は豊かで色んな複雑系が成り立っている、生態系の力が発動している場所に、我々がお邪魔してそこで育っている野菜とか果物をちょっとずついただくみたいな、そういう気持ちで僕は今畑に。

ちょっと面倒見てあげるという付き合い方

それで、たまに雑草をとるのは感覚的にはぬか床。あれは微生物が勝手に「自分たちの餌だ餌だ」って中の有機物を発酵させているわけで、それの結果として美味しいきゅうりとか白菜漬けを食べられるわけです。

その糠床が畑で、ぬか床ってたまにかき混ぜる必要がありますよね。たまにメンテする必要がありますよね。たまにメンテするくらいなところに我々行ってるんだと。完全に管理するわけじゃなく、ちょっと面倒見てあげる、くらいな付き合い方がしたいし、そうできてるなというふうに感じつつあります。

賑やかになっていく畑にワクワク

最初、我々完全に農業の素人で、この種からどんな芽が生えてくるのか、まあ今でも聞いてますけど、この芽は一体なんの野菜だろうってわからないですけど、それがすごいワクワクしていて。実際に今白菜や小松菜やネギや人参が生えてきて、すごい賑やかになってきて、毎回畑に来るのが楽しいですね。

マンダラを模した畑

あと、自分たちの畑はちょっと不思議な形をしていて(笑)

マンダラって知ってます?密教の世界観、マンダラを模しています。マンダラってもともとインドの森を図形化したものがマンダラです。

(マンダラを模した畑)

森っていうのは生物多様性の極致、一番多様性がある場所なんですよね。多様な世界をどうやって我々解釈したら良いのか、ていうのを昔の1500年前の人たちが一生懸命考えて図形化したのがマンダラなわけです。それを今の野菜の森を作ろうってコンセプトに合わせてああいう形に。

だから2本の木を立てるってのも空海が日本に持ってきたマンダラ図とちょっと似通わせて作っています。というような話をですね、熊本の友達にしたら、その話おじいちゃんおばあちゃん受けいいよって。「弘法大師が考えた農法だ」みたいな(笑)

自然に育ててもらうことにフォーカス

実際にこの農法いうのは手間がかからない、自然に育ててもらって、それを我々がいただくって、それをすごく強くフォーカスした農法になっていて。

先ほど話に出した三重県の農家さんっていうのは、もともと日本各地で環境省の仕事でいろいろ公演とかをする機会とかがあったらしいんですよね。その中で、日本のおじいちゃんおばあちゃん、限界集落じゃないですけど、高齢化がどんどん進んでいって、これまでのような手間暇かけた農業というのはとてもやりきれないだろうと。

であれば、もっともっと楽な、もっともっと手間をかけずに、でも自分の暮らしは成り立てられるような、そういう農法を開発しようということで、協生農法は編み出された。

毎日敏感にケアするものではなく、なんか楽しみながらやれている感じがするなと思います。

土をどんどん良くしていく

もともとコトモファームさんはパーマカルチャーに詳しい知人に紹介してもらいました。自然農法をやっていただけあって土とか生態系が豊かであるし、今度この果樹、果物の木を特別に植えさせてもらってますけども、果物であるからこそ鳥が寄ってきたりとか。果物全部、人間が収穫しなくても、実が落ちればそれは土にいって養分になります。いろんな有機物の集積、野菜の果物にとっての栄養が集まりやすい畑にどんどんどんどん、これから2年3年かけてしていきたいです。

自家採種のその先へ

しかも今、固定種をコトモファームさんから頂いていて、ほとんどF1の種は使わずに畑をやっています。だから、全部種を採りきらずにいくつか残しておいて、勝手にその種が飛散して、種も蒔かなくても永続的に野菜が育って、ふらっと行っておいしいもの食べて帰れるようにしたいですね。そんなふうに将来的になったら、みんなに自慢して、やってくれる人が増えたらいいなって思っています。

鈴木さんはどうですか?僕一人でやるのは寂しいんでいろいろ巻き込んで友達を連れてきたり、楽しんでいただけてると思うんですけど。

生物を食べるということ

鈴木さん:楽しんでます!

鈴木博人と申します。瀬戸さんとはある勉強会の特殊コースを過ごした同胞でして。そのイベントの帰りの電車で「鈴木さん、マンダラの形をした野菜の里山造りをやってみたい」それは面白そうだ、と食い付いたのがきっかけです。

野口のタネさんの固定種とか、耕さない畑とかいった話を耳にしながら、美味しいもの、健康なもの、安全なもの、それ以上に商品じゃない食べ物とか生物を食べるということについて少し触れてみたいという気持ちがありました。でもどこから入るかなあと棚上げしていたところへのお誘いだったので。

似ていること、似せないことの間

僕の仕事は、工業系、工場で働いてまして、金属材料の会社で電気部品などを作ってます。農業とは縁遠いようですが、機械も生命もヒトの社会も似てますね。カオスに委ねて流れに乗ったり、ルールに頼って手綱を引いたり。

僕たちの畑はデザインを加えたり放置したり、あえて畑らしくない畑、邪の道を迷いながらも生物の逞しさと繊細さを感じています。

でもこちらで毎回配られる手書きマニュアルにはそれぞれの野菜づくりの秘訣が簡潔に描かれていて、コトモファーム正統流、やっぱり経験や知恵が詰まっているなあと。

有機な場

いろいろと瀬戸さんの無茶な要望を許していただいているようで、条件付きとか。(笑)

野菜道場にして実験室、遊び場を開いていただけることがありがたいです。子供の目になったり受験生の目になったり虫の目になったり、生きた図鑑とかパノラマみたいな。

この先どう食べるかも楽しみであり課題ですね。青虫のキモチからオフクロの味まで、味覚の記憶を辿る道は長そう。

(野菜の根を観察するのに、アクリルに土を入れている)

ここに集まっているみなさんのキッカケや思いもそれぞれで面白いです。農場が産業や教育の場でもあれば、交流や生き甲斐の場でもあるんですね。

何より小島さんの肩書き、真っ直ぐに大回りしながら固めた基盤というか豊かな土壌に頼もしさを感じます。コトモファームさんが撒いた種が有機的に広がっていくことでまた野菜も美味しくなりそうです。

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